「Rausch und/and Craziness Ⅱ」参戦記 〜セトリ編〜
行ってきました!
行ってきましたよ!!
「Rausch und/and Craziness Ⅱ」参戦して来ました!
いやぁ、もう、うん。(語彙力)
いろいろ語る前にセトリです!
RAISE A SUIREN
1. mind of Prominence
2. A DECLARATION OF ×××
3. HELL or HELL?
4. 劣等上等
5. JUST THE WAY I AM
6. UNSTOPPABLE
7. REIGNING
8. SOUL SOLIDER
9. DRIVE US CRAZY
10. !NVADE SHOW!
幕間 Chu^2のDJタイム
(R・I・O・T→Sacred World→ワクワクmeetsトリップ→キミガいなくちゃっ→ブルームブルーム→Y.O.L.O!!!!!→イニシャル→Glee! Glee! Glee!→BLACK SHOUT)
11. Avant-garde HISTORY
12. FIRE BIRD
13. PASSINATE ANTHEM
14. シャルル
15. Song I am
16. メドレー(Ringing Bloom→陽だまりロードナイト→Determination Symphony)
17. 軌跡
18. Blessing Chord
19. BLACK SHOUT
20. ZEAL of proud
幕間
RAISE A SUILEN × Roselia
En1. SAIVOR OF SONG
En2. EXPOSE `Burn out!!!`
En3. 熱色スターマイン
今回はこんなセトリでした!
結論から言うと「マジでやばい!」(語彙力ゼロ)
今回は自分的に何がやばかったかについてLIVEから帰って来た上に、友人と飲んでベロっベロの状態かつ疲労感マックスで書いていきます!
RAS部分
ここは本当にヤバイ!
いい意味で休ませる気が全くないセットリスト!
ポイントとしては
・新曲! ・カバー! ・好きな曲!
です。
新曲のmind of Prominence、JUST THE WAY I AMはぶち上げでした!
シングルが発売されていたこともあり、何回も聴き込んで予習していた甲斐がありました!
カバーに関しては自分がRASカバーで一番好きな「劣等上等」!
オンラインライブでも披露されましたがやはり生で聞くと違う!
ずっとジャンプしてました(笑)
自分の好きな曲は UNSTOPPABLEと!NVADE SHOW!なのですが、こちらもセトリに組まれていて自然と涙が出てしまってました。
この2つが好きな理由はイントロやサビでの振り付けです!
UNSTOPPABLEと言えばツーステ、!NVADE SHOW!と言えばサビのシュワッチ!
この2つを全力で乗れた雰囲気はやはりLIVEでしか味わえないものです。
Roselia部分
ここでのポイントは
新曲!好きな曲!そしてなんと言っても「推し!」
新曲の2つはRAS同様シングルが発売されていて予習もバッチリでした。
特に「Zeal of proud」のサビの歌詞や英語のところは自分のお気に入りポイントでこちらも号泣しながらブレードを振り回していましたw
好きな曲としてはSong I am,FIRE BIRDですがこの2つに共通していることは
ハイスピードでスピードのある楽曲です!
ゲームのバンドリでも最高難易度に設定されているほどのものでブレードを振り回す腕が今でも痛いのはきっとRAS半分、Roselia半分なのでしょう^^;
そしてなんと言っても推し!
「中嶋由貴」でございます!
ずっとずっと遠くからですが応援させていただきました!
ベースを弾く姿、笑顔、トーク全てに感動、癒し、元気をもらえました!
今井リサとしてのゆっきーが好きです!
ソロとしてのゆっきーが見れなくなってしまった(LIVE延期)のは残念だけどいつかまたちゃんと応援できる場所で応援できるようにこちらも我慢と言ったところですね!
アンコール部分
これに関してはもう自分でも意識が限界突破してました
新カバー曲(2/22発売)からそれぞれの代表曲をコラボで歌う。
ボーカル二人の音圧に心から震えました。
とこんな感じでLIVEを250%楽しんできたわけですが、まずはこのLIVEを完成させてくださった運営様、ブシロード、木谷さん、会場スタッフさん、そしてRoselia,RASのみなさん本当にありがとうございました!
この日のために体調管理や貯金をしたと言っても過言ではありません!
本当に本当にありがとうございました!
そしてLIVEに関しては今回は完璧を超えたものになっていたと思います!
音響、セトリ、自分の座席の見やすさ全て好条件で参戦することができました!
特にギターやベースソロの体の芯にまで響いてくる感じが大好きです!
まさに、「キョウエン」だったと思います。
このカタカナで表すのは人によっては「共演」や「饗宴」と言った捉え方が違ってくると思ったからです。
僕は「狂宴」だと思ってます!(最高の意味を限界まで込めて)
参戦した皆さんやライブビューイングのみなさんはどんな「キョウエン」を味わえましたか?
最後の「熱色スターマイン」でのペンライトで真っ赤な景色は深く心に刻んで一生の思い出になることでしょう。
寝ます!
物販編はまた次回!
何においても中途半端で腹が立つ
どうも。蘭月です。
この挨拶もなんか平凡になってきましたね。
一発逆とはいかないものの小ネタを考えたほうがいいのでしょうか。
今回は特に、感じたこと、思ったことではなく、単純に愚痴を。
何においても中途半端で腹が立つ。
タイトルの通りです。
この思考に至ったきっかけがゲームなのも少々くだらないのですが、、、
すこし温かい目で見てください。
自分はゲームが好きだが上手くない。
自分はゲームが好きです。ここ最近は一日の半分くらいをApexLegendsに費やしています(笑)
でもこれでも最先端を走ってるのかというとそうでもありません。
(今こんな感じ)
つまり、中の下くらいなのです。
特に、このゲームは自分が好きで頑張ってるのでいいのですが、FPSゲームのあるあるですが、「パーティーの雰囲気が悪くなる時がある」ということも多々あり。
また、友人に「俺はもうこのランク行ってるからお前とは出来んわ」といわれるのもむかつくようになってきました。
要は、「好きだからやってる」よりも「結果を出したい」に気持ちが変わってきてます。
最初は、「ゲームは楽しむものだ、趣味でイラついても何の意味もない」と思ってたんですが、「勝ちたい、上手くなりたい」という気持ちが勝ってきました。
「これではだめだな。。。」と思ってた時期もありましたが、今はそれに楽しさすら感じています。
現に高ランク、高レベルのゲーム配信は人を呼びます。
悲しいことですが、下手な人を教えたいと思って配信を見ることは見る側の気持ち的にも向いてきてくれないのです。
これは自分でもそう。
上手い人のほうが見ごたえがあるし、自分の参考にもなる。
そうふつうは見ないんですよ!
だからこそ見に来てくださる方は本当にありがたく思ってるのですが!
つまり、僕の中でゲームは「上手くなりたいもの」なんです。
もう趣味こえてるんです。「やりがい」なんです。
だからこそむかつく。しかも自分に。
ゲームには「上手い人」と「強い人」がいる
これはどういうことかというと、
「上手い人」・・・戦術や立ち回り、判断力が優れている
「強い人」・・・キャラコントロール、エイム、コマンドなどの戦闘力が優れている
簡単に分けるとこんなもんです。
じゃあ僕はどっちか。
そうなんです。
どっちでもないんですよ!!!!
少し自分を大げさに言うなら二つの要素を半分ずつ持ってるだけ。
つまり、「中途半端」なんですね。
上手い人が強いわけではなく、強い人が上手いわけではないですが、それにしてもってところです。
まぁ今ようやく実力がついてきたという感じですが、日によって波がありますし、ただのゲームやりまくってる引きこもりになってる時もあります。
「中途半端」の改善点って何?
これの打開策は?
こんなにやってるのに何で?
ってなってます。
だから書いてます。
こんなのに頑張って何になるんだと思われそうですし、現にゲームが上手いと思う友人を見たときに自分のように両立させようとか考えてなさそうだなと思います。
でも、何においても、だれにとっても、その人の「本気」ってほかの人から見たら大半は「自分には関係ない」んですね。
だから俺が頑張るのも自由だし、そいつとは関係ないんです。
だけど意識してしまう。
「やっぱりやってる時間なのかな」「練習の仕方が悪いのかな」いろんなことを考えてますが、中途半端の壁からは一個抜け出せない。
これは、ゲームだけではなかったのです。
勉強もそう、バスケもそう、恋愛、筋トレ、ゲーム、バイト、このブログだって更新頻度見たらまるわかりなくらい「中途半端」です。
やってるだけ、結果を出せない。
じゃあ結果って?何を結果にすればいいの?と考え、
Apexでは一個上のランク「ダイヤ」に行くことを目標としました。
この結果が出たときにその先で何か得れるものがあればまたその時に。
今は、どう中途半端を治すかを考えてます。
これって今年の目標なんじゃね?
前回の記事を読んでくださいましたでしょうか?
これ、もしかしたらつながってるのかな?
こいつにも書きましたが、僕の今年の目標は「力を抜くこと」です。
要は、切り替えをよくすること。
視野を広げることが目標なわけです。
じゃあもしかして今は視野が狭くなってる?
少し一旦落ち着いて回り見てみるかとキャラや戦術を考え直してみたところ少し上達しました。
いわゆる「上手い」要素を多めに取り入れたんですね。
じゃ今度は「強い」要素を取り入れる番です。
正直なところ今この記事は行き当たりばったりで書いているので、「あ、つながったわ」と今思いながら書いてます。(笑)
じゃあ次からはこれを頑張ろうかなと。
また目標達成出来たら書き始めます。
配信で頑張ってます。
ぜひ見に来てください!
おすすめの動画はこちら
久しぶりに書いたくせに今年の抱負を語るンゴ
あけましておめでとうございます。
お久しぶりです。蘭月です。
ブログを始めてろくに更新もしないまま2年が経ちました。
ですが、やはり文字にするのが考えの整理になると改めて思ったのと再開
を求める強烈なオファー(友人)がありましたのでリハビリも兼ねて昨年の反省と今年の抱負でも語りたいと思います。
2020を振り返って
一言で言えば「終わったかぁ」ですね。
今まで以上に流れて過ごした一年でした。
もちろん、充実はしていたと思いますし、十分楽しみましたが、やはり「コロナ」がどこか邪魔をしていたような気がします。
2020で意識したことは「真面目に生きる」です。
勉学に、バイト、趣味に全力で楽しむやりたいことやるために頑張るでしたが、ここ最近また考え方が変わってきました。
ふらっふらだなお前。と突っ込まれそうですが、あっち行ったりこっち行ったりはしていません。
この一年間が得てやってみたことを踏まえて反省しているだけなので温かい目で見てください。
今年の目標は「力の抜き方を覚えること」
これが今年の目標です。
去年で頑張り方は覚えました。
失いかけていた情熱も取り戻し、「頑張る自分」というのも見つけられた気がします。
ただここ一年ひたすらに忙しく、息が詰まることも多々ありました。
別に自分もそうしようとは思わなかったのですが、「タバコ休憩」がとても羨ましく思えるときもありました。
一服、というような一息つく時間も欲しかったのです。
バスケをやっていますが、自分の体力がないと思っていたものが、力の抜き方「頑張るところと頑張らないところ」を使い分けるだけでかなり楽になったのもきっかけの一つです。
決して楽をするわけではなく、頑張るときに頑張る、休めるときに休むということを意識しようとするだけの話。
口では簡単、やるのは難しい。
実際頑張りすぎてしまうし、休みすぎてしまう。
何においてもいい感じに適当にが一番難しい気がする。
そこでも、これをやらなければ自分はダメだと思う。
視野が狭い。頭が固い。何においても中途半端。
油断するとこの三拍子がそろってしまう中、どうにか上手くやっていけるための大学生活にしたい。
そう思っての3年目です。
YouTubeを始めました。
また、頑張ることの一つとして「ゲームが上手くなる」ことも目指していきたいです。
現在Apexを頑張ってます。
こちらはこのブログと違いかなりの頻度で配信してますw
こちらからどうぞ!
そんなわけで今年もよろしくお願いします。
今年はかなり書いていきたいですね。
「がくしゅう」には3つあると思うんです
3つあると思うんです
学生である以上絶対にある程度の縛りを受ける「勉学」。
自分は塾講師としてアルバイトをしていますがよく生徒から、
「なんでこんなことをやらなきゃいけないんだ」
「因数分解なんて将来に使わないだろ。。」などのぼやきをよく聞きます。
もちろん「それが必要なんだなぁ」などはぐらかしたりしますが
得意科目と苦手科目の差が大きい子に対して、
「得意科目に取り組む気持ちと同じ感じでやれば?」
などの提案もしてみますが
「それとこれとは違うんだよ」とこれもテンプレート。
正直、自分も日常生活で因数分解(中学数学)なんか使ったことありません(そもそも数学って使うんですか?って思った人は数学の先生に質問してください)
この会話を繰り返しているうちに仮説を立てました
「得意科目、苦手科目や好き、嫌いなどで別れるのではなく
本人の取り組み方、気持ちの入り方が違うのではないか。」
要は、「がくしゅう」に種類があるのではないかと考えました
次に、自分が独断と偏見で分類分けをしてみた
学習
まず1番にこれ。正直これが一番嫌い。
「習う」ので押さえつけられている感じがする。
要は、学校の授業で教科書を使って学ぶもので、すごい屁理屈っぽく言えば、文科省から「中学生や高校生はここまで学んだほうがいい」と決められているものを学ぶもの。
多分、ここで因数分解を習うからやらなくなる。
「こんなの将来使わない」と。
学執
次にこれ。執念の「執」
え、なんのこっちゃ?となるが要は受験や定期試験、資格などに向けての勉強のこと。
ここを「学習」と間違えると、中間テストで数学のテストの点数が悪かった時、「こんなの将来使わない」と言い訳をする。
「合格したい」「資格を取りたい」「良い成績を取りたい」という執念で勉強すること。
この気持ちを持って勉強してる最中はおそらく、「こんなの将来使わないしいっか」という気持ちにはおそらくならないだろう。
学修
最後にこれ。修める(おさめる)と書く。
「修」に物事を整った状態にするという意味があり、今回で言えば、学ぶことで知識として蓄えられるという意味とする。
よく大学の単位や時間割などで偉そうに出てくることが多いが、あながち間違いではない。
大学では専門分野など時間割を自分で決めることがある。
要は「自分で学びたくてこの授業をとる」ということだ。
つまりここでの「学修」とは自分で学びたいものを学び、知識や経験を修めるという意味合いにある。
まとめ
結構大雑把に説明したので、語弊があると思うがこの議論について話し合う事はとても重要な事だと思う。
はっきりいってこんなに冷静かつ客観的視点で自分を割り切って勉強している中学生は見た事ないし、高校生でこれがいたら東大行ってると思う。(多分俺これで東大行ってる)
まあ今からでも遅くはないから考えてみてほしい。
今自分に課されているものがどこに分類されてどう頑張るのが正しいのか。
これを考えるだけでおそらく勉強の考えが変わるし効率が上がると思う。
(まあこの話題だけで2日を費やし、混乱するほど話し合う友人を死っているが)
これは違うだろ。そこおかしくない?などあればいつでも言って欲しいし、Twitterでもお願いします。
Twitter→@RanGeTsu_game
大学に進学して今思うこと
どうも、蘭月です。
また月日が空いてしまいました。すみません…(汗)
今まで読書感想文を主軸に書いてきましたが、一回の更新にかなり時間がかかる事、自分がブログを使ってこう書きたいというものにうまくマッチしなかったので読書感想文としてではなく自分の考えや意見などのスピリチュアルな部分を多い更新頻度でやっていければなと思います。
もちろん読書感想文は続けて行くつもりなのでよろしくお願いします!
大学に1年通ってみて
さて、晴れて大学生になって早1年が経ち今でも思うのは、「国立大学ってやっぱいいな」「早慶上智、MARCHっていいな」と。
通っている友人と話した時、大概「そっちの大学どう?」「うちの大学ってさ〜」などと近況報告をしあうのですが大学の授業なり、設備なり、サークルなり自分の大学と違い生き生きと活動しているように思います。
これはまあ「隣の芝生は青い」ってやつです。
あとは、そこへの憧れ、引目などが生んでいるでしょう。
ただ、ここで落ち込んでいたのが大学入ってすぐの自分。
今はどう違うのかというと「よし。やってみよう。」になるわけです。
簡単に言って仕舞えばポジティブになったのです。
ウジウジしたり、くよくよ考えるのを止め、今のここからどうして行くかを考えようとしました。
ポジティブな人、ネガティブな人
ここでポジティブ、ネガティブについて言及しておきましょう
一般的にポジティブな人は明るくて前向き、ネガティブな人は暗くて、後ろ向きというイメージがあります。
ほとんどこの解釈で合っているとは思いますが、自分はネガティブなことが自分の身に降りかかった時にその真価を問えると思うのです。
例えば、「成績が下がった」ということをネガティブな事とします。
・切り替えて次頑張る
・なぜ成績が落ちてしまったんだろうと考える
・落ち込む
この3つのうちどれがポジティブな選択なのか。
自分は2番目だと考えています。
もちろん切り替える事は大事ですし、落ち込んでばかりはネガティブな行動だと思われます。
大事なのは、なぜそうなったかの「分析」、今後の「目標」、それまでの「課題」をほんの少しでも考えられる人がポジティブだと思います。
つまりここでのポジティブは明るい、元気ではなく物事について前向きであるかで判断したいと思います
ちなみに僕はマイナス思考ですし、今でも落ち込みやすいですが過去の失敗全てを経験として前を向いているつもりです。(笑)
中高と大学の違い
1年通ってみてやはり一番大きく感じるのは中高との違いです。
それは、「教室」。これは人間関係に直結する事だと思います。
いや、わりとまじで。
中高では教室という世界を先生1人生徒40人で形成されているからこそ役割分担が出来て、必要なコミュニケーションを取って成り立っていると考えています。
それが大学だと過剰な生徒数、様々な出身地、授業も別々など、大学の専門的な事や将来的な事を学ぶ場所というメリットであるからこそ、個人で動くことが多くなることがデメリットに働いてしまう。
決して大学での人間関係が0だとは言いません。
大学にも良い出会いがあるでしょう。
ただ、自分の中学の先生が言っていた「結局戻ってくるのは中学」という言葉は今思えば感慨深いものです。
実際今、大学での友達がいないわけではありませんがやはり関係が深いという意味では中高の友達なのかなぁと徒然なるままに日暮らし。
まとめ 〜中高大と何を学ぶか〜
長ったらしく自分語りをしてきましたが、この一年経験したこととこれまでの過去を振り返ってこうしておけばよかったのかなと考えたことを述べて終わりたいと思います。
中高大で学ぶべき、目指すべきであろうことは3つ。
・自己分析
・計画性
・相談できる人間関係の構築
だと思います。
もちろんこれは当たり前のことを当たり前にやる(挨拶など)ことや、やるときはやる(テスト期間中は勉強するとか)のことを大前提に話していますが、自分のことを分析し、1つ1つに計画性や道筋を立て、もし、困ったら相談ができる友人、先生、家族さえ、満たしていればおそらく悩み事に対しても、自分が頑張りたいことに関しても、もちろん勉強や部活にも前向きに取り組めていけると思います。
これが自分は学校に行くことで学べることだと思います(授業や受験についてはまた話します)。
「そんなの綺麗事だ」「そうは言ってもねぇ…。」「簡単に出来たら苦労はしないよ」などの話が出てくるのは目に見えています。
ただ、今までの素晴らしい友人達を見ると自分ももう少し視野が広ければなぁと思わざるを得ないのです。
皆さんはどうですか?
成績や部活や受験、義務教育だから、就職に必要だからの理由以外で学校に行く意味を持っていますか?
この中国から渡し忌々しい肺炎菌のせいで家にいる今こそ自己分析をして計画をして相談して準備してみてはどうでしょうか。
「それは違うよ!」「自分はこう思う」などありましたらコメントお願いします
【ラノベ】ちょっぴり年上でも彼女にしてくれますか?3 作:望公太 〜感想〜
あけましておめでとうございます。そして、お久しぶりです。
大学生活が思いの外忙しく、まず本を読むこと自体が少なくなり読んだ後の感想を書く時間を惜しんでしまっていました。
年が明け、新しく挑戦するつもりで頑張っていきますのでどうぞよろしくお願いします。
さて、遠い記憶を漁ると、2巻までは感想を書き、四巻(最新巻)まで読んでおります
今回は三巻!前回、人生の楽しみ方について掘り下げたような気がします。
クリスマスを過ぎ、人肌恋しい季節を乗り越えた独り身ですが…。やはり恋人が欲しいという願望が頭のどこか片隅にあってしまうのはそういうことですかね(苦笑)
〜時を超える愛〜
さて、今回のサブタイトルは『時を超える愛』ということですが読んでもらえれば分かりますが薫と織原さんとの過去につながってくる話で、二人は以前に出会っていたようで・・・!?
そこでつながってくるのか!と驚きはしたものの、「卵焼き」でピンと来たのが正直なところです
今作、僕としては前半のキャンプに焦点を合わせて話していきたいなと思います
〜三角関係〜
高校の友達と織原さん含む六人でキャンプにきた一行。
甘々な二人の場面やみんなではしゃぐ色々な場面が描かれている中、キャンプファイヤーで仲良し三人組(ウラ・カナ・薫)が喧嘩したことがあるのかという話題に。
どうやらこの話は三人にとってタブーだったらしく・・・。
クラスのリーダー的存在だった陽気な少年は休み時間に誰とも話さず寝たふりをして過ごすように、教室の角でずっと本を読んでいた内気な少年は学年の大半と連絡先を交換するようになってしまった
「実はさ、僕とウラで三角関係やっちゃって」
カナが言った。どうでもいい失敗談を語るように。
これが原因でウラ激怒。それでもカナは続ける。
「中学生の恋愛なんて、ごっこみたいなもんだから。大人になれば忘れるか笑い話にでもしたほうがいいだろ」
このやりとりがきっかけでウラは逃走、カナも頭を冷やしてくるといいバラバラに。
修羅場になりながらも片付けをしている織原さんのもとにカナが現れ、相談し始めます。
これが今回の自分の考察したかったところです!
〜大人より子供の方が味覚が敏感〜
いきなり話は変わりそうですが最後にちゃんと戻ってくるので安心してください(笑)
子供の野菜嫌いというのはよくある話ですが、大人で野菜嫌いはあまり聞かない話です(勝手に)。アレルギー云々は置いておいて、何故でしょうか。逆に野菜嫌いだった子供は大人になっても野菜嫌いなのでしょうか?
おそらくですが何処かで克服するタイミングがあるはずです。その食べられたきっかけというのに関係していると言われているのが「味覚」です。
子供は大人に比べて味覚が敏感と言われています。なので、野菜の苦味というのを敏感に感じ取ってしまうらしいのです。食べられるようになるきっかけというのは成長により、味覚が変化することによって苦手だった野菜も美味しく食べられるようになるというのです。
つまり、人は大人になればなるほど鈍くなる。
〜心も同じ・・・?〜
先ほどの話を踏まえると、大人になればなるほど鈍くなるのは味覚だけでなく、五感や心も鈍くなるのだろうかということ。
大人になれば苦い思い出も笑って受け入れられるようになるのか。
子供の頃の失敗や痛みなんて忘れてしまうのか。
今この瞬間、自分が考えていること、このブログ、趣味これも年月が経つにつれて忘れていくものなのでしょうか?
〜心の容量〜
自分はこの疑問にちょうど昨年の2〜3月にぶち当たりました。
大学受験や、失恋ですね。(苦笑)
鈍感になったかどうかはさておいて、ここで苦笑できる自分になれてよかったと思っています。
正直、今でも後悔、悲しみ、引け目を感じることも多々、多々ありますし今が一番いいとも思っていません。
ここからは自分の考察が入りますが、大人になるとはどういうことかの答えの1つとして「心の容量」があると思います。
前提として、心の広さを説いているわけではないです。
ただ、一度受け入れて考えられるかどうかだと思います。
今自分がひしひしと感じている世の中の理不尽さや、後悔、喜び、などの感情をその場で跳ね返し、暴発させるのではなく一度頭で整理できるのかどうかだと思うんです。
心の容量が少なければ、怒りやすいなどの感情の起伏が激しい人。
多ければ、大人っぽく、余裕のある人。
だと思うし、自分の目標がこの余裕のある大人です。
感情を殺すなどの冷たいことではなく、一回客観的に考えられる冷静さが欲しかった。
今ある現実や過ぎてしまった過去に関してグダグダして今を邪魔しているなら、受け止めてこれからどうするかを考えられるかどうかではないでしょうか。
例えば欲しいものがある。お金がない。じゃあ貯金しよう。あるいはバイトのシフトを多めに入れてみるだとか。
論理的に考えて思考を絶やさず、前を向き続ける人。そのために努力を厭わない人。そんな人を大人というのではないでしょうか。
これが大人と子供の境界線なのではないかと考えました。
〜まとめると・・・?〜
話が少しそれましたね。戻しましょう。
結局、恋愛に関して初恋がそのままゴールまで行くことは稀なことで、おそらく誰しもが一度は失恋を経験し、その中でもトラウマになるようなこともあると思います。それでもその罪滅ぼしと言うと大袈裟ですが、心の傷を癒すのも、その経験を活かすのも、次の恋愛をするしかない。
「なら次こそは」と思うしかないし、今恋人や大切な人がいるならその人を本当に大切にしなければならないと思います。
「過ぎてしまったことはしょうがない」は冷たい言葉でしょうか
この言葉を受け入れられることが大人への一歩、次の恋人を大切にできる自分の成長への一歩なのではないでしょうか。
今3巻までこう言ったことを書かせていただき、
「二人での恋愛」
「選択の連続」
「大人と子供の境界線」
と書かせていただきました。
段階を踏んで、人を愛することはどう言うことかを学び、自分の心の容量を大きく、自分を磨ければと思います。
次巻では「いい人」について書きます
また、書ける種類も増やしていければなと考えています。
一度でもいいので目を通していただければ幸いです。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
【ラノベ】ちょっぴり年上でも彼女にしてくれますか?2 作:望公太 〜感想〜
〜たまらなく愛おしく、とにかく尊い〜
2巻目!読んで感想を書くために考察してたらこんなに間が開いてしまいました・・・。(m-_-m)
今回は意外と爆弾発言や♡なシーン(R18)があったり電車で読んでてポーカーフェイスを保つのに苦労しました(^_^;)
〜あらすじ〜
男子高校生・桃田薫はちょっぴり年上の彼女・織原さんと交際中。
今日はお家でゲームに熱中→明日は遠くの街までドライブ&水族館デート♪
12歳差のギャップにも負けず絆を深めていく二人だったが、「薫が告られる!?」
「織原さんの姉・妃さん登場で二人の秘密に一波乱!?」可愛すぎるアラサーと真っ直ぐな男子高校生が真剣に思いを重ねあう尊くも初々しい純愛ラブコメ第二弾!
フザケンナ!!!世の中そんなにうまくいってたまるか!でも羨ましいぞ!そこ代われ!!!!!!!!!!!
あらすじに個人的意見が過激に含まれていることに深く謝罪の意を示すとともにこれを夜一人で真剣に書いている愛を知らない大学生を温かい目で見守ってくれたら幸いです。
この巻は大きく分けて3つのストーリーがあります
1織原さんと薫の純愛物語
2薫と薫に告白してきた同級生・指宿咲(いぶすきさき)の関係
3R18(^◇^;)
このうちの1つに今回は焦点を当てて考えてみたいと思います。
「どうしてもっていうなら、私があんたと付き合ってあげてもいいのよ?」
本巻のイラスト通りの女の子であるならば自分は素直に「はい」といってしまうこの言葉。指宿咲(以下指宿)が薫に告白(?)するシーンから始まります。
もちろん薫は織原さんがいるため一旦断りますが、指宿は薫に交際相手がいることなど信じません。指宿にとって薫に彼女などいないと思い込んでいたらしいです。
それから指宿は薫と織原さんを尾行して・・・。
と、ネタバレが過ぎるのもアレなので本題に入りましょう。
『人生は選択の連続である』
有名な劇作家ウィリアム・シェイクスピアの名言、らしい。
厳密には、シェイクスピア自身の言葉ではなく彼の書いた悲劇「ハムレット」に登場する名言らしいー更に言えば「ハムレット」にはそんなセリフは一切登場せず、ネット上で勝手に広まってしまった架空の名言であるという説が濃厚です。
ともあれ、彼が言ったにしても言わないにしても、個人的には名言だと思うし至言でもあると思います。
人は生きてるだけで選択を迫られますよね。
進学(うっ。)、就職と言った人生を左右する大きな選択。
休日や放課後の過ごし方、食べるものに着るもの、読む本やゲーム・・その他諸々の小さな選択まで・・・。
これに拒否権はなく数々の選択が押し寄せてくる。
もちろん・・・恋愛も。
告白する・しない プレゼントの有無 デートの場所いろいろな選択を経て恋愛関係は良い方向にも悪い方向にも向かっていく。ここのような細かいことよりももっと重要なこと、『誰を選ぶか』という恋愛の根幹の選択もある。
自分の友人(オタク歴が学歴より長く、恋愛に関して悲観的な意見しか持たない)は恋愛に関して、「ノベルゲームなら選択肢が出るんだけどな」とよく言っていました。
つまりノベルゲームならば、間違ったらセーブ&ロードでやり直す事が出来るし、一回クリアした後に他の選択肢を試す2回目も出来る。ヒロインが複数いるハーレム系ならそれぞれのヒロインにそれぞれのエンディングが用意されている。ただ、じゃあなぜ自分の友人が恋愛に悲観的なのかは言うまでもなく考えることを放棄しているからで現実はノベルゲームと違ってやり直せないし2周目はない。ましてやこの選択が正解なのかすらも定かでない。ただ、だからこそ選択すると言う行為がどれだけ大事であるかを理解し考えないと、「恋愛なんてめんどくさい」で終わってしまうような気がします。
本作では「人生は選択の連続である」は「選択の連続こそが人生である」とも言っています。
何を選び、そして選ばなかったか
誰を選び、誰を選ばなかったか
そして、選ばれなかった人もまた。。
この幾度となく押し寄せる選択の連続こそが『人生』なのではないか。そう言うお話です。
薫はどちらを選ぶのか。指宿は選ばれるのか。
そして、織原さんは・・・・。
この「選択」が今回のキーワードだと思います。
でも、自分の選択に間違いなどない、正しいはずだと誰もが思いたいですよね。だからこそ間違っていた、あるいは選ばれなかった時の悲しみは計り知れないものです。
それでもまた選ばなきゃならない、前を向かなきゃいけないのがこの「人生」と言うセーブ不可の無理ゲーの鬼畜設定であり、絶対に誰にも同じ道を歩むことなど出来ない自分だけのストーリーでもあるんです。
これに絶望して考えることを放棄した人が自分です。
自分は一度『考えることを放棄する』と言う選択をしました。正直、疲れたんです。選択という連続攻撃からの失恋というオーバーキル。今まで正しいと思って選択してきた事が連続の大不正解。この経験を愛せるはずもなく、このまま消えてしまいたいと思った事も多々あります。ただそれでもその状況の中で次どうするかの選択を迫られる。その時に友人(上とは別の)達の言葉によって自分は一つ選択をしました。
「成功する選択ではなく、失敗しないような選択」
要は、「なんとかなる」です。
別に甘く見てるわけじゃありません。「なんとかする」んです。なんとかするにはしなければならないことがあります。それを一つずつ選択していくのです。
この生き方が正しいかどうかは正直わかりません。
自分の人生の攻略本やサイトがあるわけでもないし、誰かが教えてくれるわけでもない。
でも、そんな中で見つけた生き方もありました。
「人生」を物語のタイトルだとしたら「選択」はサブタイトルで選択までの道のり(努力や思考)が物語の本質なのでは?と。
皆さんはどうでしょうか。
「たかがラノベ一冊読んだくらいで」と思いますか?
でも人生失敗だらけの自分にとってはラブコメを読むと本気で考えてしまいます。
やはり、人生の中で「恋愛」はこれまでの世界の歴史上やはり重要な位置を示していると思うのです。
僕は人生の楽しみ方を間違えているでしょうか?
次回も読んでいただけたら嬉しいです
次回は大人と子供の境界線についてです。
1巻の「二人での恋愛」
2巻の「選択の連続」
と合わせて考えて書きます(めっちゃ頑張ります)