RanGeTsu1277のブログ

初めまして!蘭月です!大学生で何か日々のことを残したいなと思ってブログを始めてみました。初めてなのでわからないことも多々ありながら自分の趣味や興味のあることでコミュニティが広がっていけば嬉しいです!

「がくしゅう」には3つあると思うんです

3つあると思うんです

学生である以上絶対にある程度の縛りを受ける「勉学」。

自分は塾講師としてアルバイトをしていますがよく生徒から、

「なんでこんなことをやらなきゃいけないんだ」

因数分解なんて将来に使わないだろ。。」などのぼやきをよく聞きます。

もちろん「それが必要なんだなぁ」などはぐらかしたりしますが

得意科目と苦手科目の差が大きい子に対して、

「得意科目に取り組む気持ちと同じ感じでやれば?」

などの提案もしてみますが

「それとこれとは違うんだよ」とこれもテンプレート。

正直、自分も日常生活で因数分解(中学数学)なんか使ったことありません(そもそも数学って使うんですか?って思った人は数学の先生に質問してください)

 

この会話を繰り返しているうちに仮説を立てました

「得意科目、苦手科目や好き、嫌いなどで別れるのではなく

本人の取り組み方、気持ちの入り方が違うのではないか。」

要は、「がくしゅう」に種類があるのではないかと考えました

次に、自分が独断と偏見で分類分けをしてみた

学習

まず1番にこれ。正直これが一番嫌い。

「習う」ので押さえつけられている感じがする。

要は、学校の授業で教科書を使って学ぶもので、すごい屁理屈っぽく言えば、文科省から「中学生や高校生はここまで学んだほうがいい」と決められているものを学ぶもの。

多分、ここで因数分解を習うからやらなくなる。

「こんなの将来使わない」と。

 

学執

次にこれ。執念の「執」

え、なんのこっちゃ?となるが要は受験や定期試験、資格などに向けての勉強のこと。

ここを「学習」と間違えると、中間テストで数学のテストの点数が悪かった時、「こんなの将来使わない」と言い訳をする。

「合格したい」「資格を取りたい」「良い成績を取りたい」という執念で勉強すること。

この気持ちを持って勉強してる最中はおそらく、「こんなの将来使わないしいっか」という気持ちにはおそらくならないだろう。

 

学修

最後にこれ。修める(おさめる)と書く。

「修」に物事を整った状態にするという意味があり、今回で言えば、学ぶことで知識として蓄えられるという意味とする。

よく大学の単位や時間割などで偉そうに出てくることが多いが、あながち間違いではない。

大学では専門分野など時間割を自分で決めることがある。

要は「自分で学びたくてこの授業をとる」ということだ。

つまりここでの「学修」とは自分で学びたいものを学び、知識や経験を修めるという意味合いにある。

 

まとめ

結構大雑把に説明したので、語弊があると思うがこの議論について話し合う事はとても重要な事だと思う。

はっきりいってこんなに冷静かつ客観的視点で自分を割り切って勉強している中学生は見た事ないし、高校生でこれがいたら東大行ってると思う。(多分俺これで東大行ってる)

まあ今からでも遅くはないから考えてみてほしい。

今自分に課されているものがどこに分類されてどう頑張るのが正しいのか。

これを考えるだけでおそらく勉強の考えが変わるし効率が上がると思う。

(まあこの話題だけで2日を費やし、混乱するほど話し合う友人を死っているが)

 

これは違うだろ。そこおかしくない?などあればいつでも言って欲しいし、Twitterでもお願いします。

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